いじめの解決策一考2

学校の先生が不祥事を起こすたびに、先生たちを取り巻く環境は厳しいものになってきました。
しかし、不祥事を起こしたのは、ほんの一部の先生たちであり、熱心な先生たちはその何十倍、何百倍もいます。一部の先生たちが起こした不祥事で、熱心な先生方の身動きがとれなくなっているという面があると私は考えています。
例えば、私の地元では、酒気帯びで何人もの先生が捕まり、いつの間にか、酒気帯び=懲戒免職という事になりました。この場合の酒気帯びとは、朝にお酒が残っている場合も含まれます。飲んだあと、車の運転をすることは言語道断だと私も思います。取り返せない失敗だと思います。しかし、飲酒のあと、五・六時間寝ても、完全にお酒が抜けていなければ懲戒免職なのです。ちなみに、私の地元では、車がないと通勤もままなりません。少し、飲みすぎたなと思ったら、年休で休むしかないのです。もちろん、酒気帯びを擁護しているつもりはありません。あくまで、例えばという話です。
教育の特徴は、「失敗しても、頑張れば失敗を取り返せる。もっと頑張れば、成功することもできる」ということを子どもたちに教えることではないでしょうか?
そうであれば、学校の先生たちの失敗も、許せるものは一度ぐらい許して、頑張るチャンスを与えてほしいと思います。それくらいの余裕を与えてほしいと思います。
一回の失敗も許されないような環境のなかで、先生たちは、自分の信念だけで教育に取り組むことができるのでしょうか?私は、できないと思います。どうしても保身に走りたくなる面があるだろうと思うのです。もちろん、子どものことをほっぽりだして保身に走ったとすれば責められて仕方ないと思います。
でも、もう少し大きい視点で考えないと、いじめの問題は根本的に解決しないだろうと思います。
根本的な解決策の一つが、「学校の先生たちが、のびのびと、自分の信念にもとづいて、いじめを指導できるようにする。」ことだと私は思っています。そのような環境を、もう一度先生たちに与えたら・・・・と思ってしまいます。